2012年 05月 24日
かれこれ半世紀前のお話から………。

念願の大学に入学する事となった私メ、
一路、花のお江戸時代東京を目指したのであります。
田舎の小娘を乗せた列車は、「東海6号」。(東京ー米原間を走ってました。)
今、その列車はとっくの昔にありませんが
岐阜ー東京間は約6時間。
列車の中は、懐かしい木のボックス席。
あの頃は、当たり前のように、お隣の、前のおじさん おばさんが
声をかけてくれました。
これからの学生生活を、我が子、我が孫のように心配し……。
(今なら ウザイ!!の一言だろうか
いや、その前に無関心だろうネ。。)
東京駅からは中央線で新宿まで
白々と夜が開ける前に着いた新宿は
ネオンサイン、コサイン、タンジェント(アホなことを)
それはまさに異文化世界の「不夜城」 だった。
新生活は、大学寮から始まりました。
2段ベッドの狭い部屋に、まだ幼さが残る少女が8人。
まるで修学旅行のような……。
同部屋となった少女の中に
とてもまったりとした関西弁で話す子がいた。
なんとなく相性があってお友達になった。
育ちのよさが滲み出た、清楚な芦屋のお嬢様だった。
身につけている小物は、上質で品がよく
田舎者の私メには、初めて目にする品々だった。
彼女とは芦屋のお宅に泊めて頂いたり
結婚後もアメリカまでお邪魔したりと、仲良くさせて頂いた。
その彼女との交流の中で、今でも記憶に残り、影響を与えてくれた事
「万年筆」
記憶では、彼女が使っていたものは、「パーカー」でわなっかたか?
最初、彼女から来た手紙は、
やや中太の文字で、色は、群青色。
人柄を表す優しい筆跡と鮮やかな青色に目を奪われた。
それから数年、いつか自分もあの色で、あのペン先で
手紙を書きたいと、ずう〜っと想っていた。
そして
あれから半世紀、「パーカー」ではなく万年筆を作り続けて約半世紀
熟練の職人さん藤本寛氏が率いる「ロングプロダクツ」で購入。
名人のペンは「檸檬」 インクは「色彩 雫 月夜」
あと、どれだけ念願の万年筆で「ふみ」が書けるだろうか。。。

念願の大学に入学する事となった私メ、
一路、花のお江戸時代東京を目指したのであります。
田舎の小娘を乗せた列車は、「東海6号」。(東京ー米原間を走ってました。)
今、その列車はとっくの昔にありませんが
岐阜ー東京間は約6時間。
列車の中は、懐かしい木のボックス席。
あの頃は、当たり前のように、お隣の、前のおじさん おばさんが
声をかけてくれました。
これからの学生生活を、我が子、我が孫のように心配し……。
(今なら ウザイ!!の一言だろうか
いや、その前に無関心だろうネ。。)
東京駅からは中央線で新宿まで
白々と夜が開ける前に着いた新宿は
ネオンサイン、コサイン、タンジェント(アホなことを)
それはまさに異文化世界の「不夜城」 だった。
新生活は、大学寮から始まりました。
2段ベッドの狭い部屋に、まだ幼さが残る少女が8人。
まるで修学旅行のような……。
同部屋となった少女の中に
とてもまったりとした関西弁で話す子がいた。
なんとなく相性があってお友達になった。
育ちのよさが滲み出た、清楚な芦屋のお嬢様だった。
身につけている小物は、上質で品がよく
田舎者の私メには、初めて目にする品々だった。
彼女とは芦屋のお宅に泊めて頂いたり
結婚後もアメリカまでお邪魔したりと、仲良くさせて頂いた。
その彼女との交流の中で、今でも記憶に残り、影響を与えてくれた事
「万年筆」
記憶では、彼女が使っていたものは、「パーカー」でわなっかたか?
最初、彼女から来た手紙は、
やや中太の文字で、色は、群青色。
人柄を表す優しい筆跡と鮮やかな青色に目を奪われた。
それから数年、いつか自分もあの色で、あのペン先で
手紙を書きたいと、ずう〜っと想っていた。
そして
あれから半世紀、「パーカー」ではなく万年筆を作り続けて約半世紀
熟練の職人さん藤本寛氏が率いる「ロングプロダクツ」で購入。
名人のペンは「檸檬」 インクは「色彩 雫 月夜」
あと、どれだけ念願の万年筆で「ふみ」が書けるだろうか。。。

































